その「大丈夫」って、大丈夫なの?大丈夫じゃないの?

「あ、大丈夫です」って「いる」の意味?「いらない」の意味?

コンビニなどで「お弁当温めますか?」と聞かれたときに、こう答えている人を見たことはありませんか?

あ、大丈夫です

この「大丈夫」は「温めてください」なのか「温めなくていいです」という意味の、どちらでしょうか。

おそらく若い人の多くは「温めなくていいです」という意味で使っており、自分も言うし、相手に言われてもそう解釈することが多いと思われます。

逆に、年齢層が高くなってくると「温めてください」という受諾の意味にとらえる場合があり得ます。

この用法は、果たして間違いなのでしょうか?

 

大丈夫の本来の意味は?

大丈夫は中国からはいってきた言葉で、「とても立派な男子」というのがもとの意味だそうです。

「丈夫」は「丈夫な体」などで今でも使いますね。
これに大がついているので、すごく丈夫なわけです。

文脈によってはこの意味で今でも使います。
体調が悪そうな人に「大丈夫ですか?」と聞いたりする場合はもとの意味を用いています。

このもとの意味から「間違いない」とか「確かである」という意味でも用いられるようになりました。さらにそこから「心配がない」とか「不都合でない」「安心」という意味にも派生しています。

ここから「大丈夫」という言葉は、かなりたくさんの意味を伝える便利な言葉として用いられてきたことがうかがえます。

ただし、一貫してプラスの意味合いを持っています。
それがなぜ「拒絶(いらない)」の意味合いで使われているのでしょうか。

 

 

拒絶の大丈夫はなぜ生まれたのか?

本来肯定的な言葉である「大丈夫」が、拒絶の意味合いで用いられているのはなぜか。

一つヒントになるのは、「結構です」という言葉です。

「結構」は本来肯定的な言葉ですね。
「結構なお手前で」などのときは褒めています。

これがなぜか「もう結構です」のように、拒絶の意味合いで用いられることがあります。

結構は「いい」とも言い換えられますが、これも同じで「いい」も本来はプラスの言葉なのに「もういいです」だと拒絶になります。

英語でいえば「It’s OK」や「No problem」にあたる言葉です。
「It’s OK」などは日本語での使い方に似ていますね。

このように、日本語では「プラスの言葉」が「拒絶」に使われるようになる変化が今までも起きていました。

このような言い回しをするのはなぜかを研究した理論として、「ポライトネス理論」というものがあるそうです。

これはフランス語をベースにした研究なので、日本語に当てはまるのかといった議論はあるようですが、社会的なマナーとしてとらえられる敬語よりも広く婉曲(えんきょく。遠回し)表現を説明できる可能性があります。

この理論にしたがって、プラス表現が「拒絶」に使われるメカニズムを考えてみます。

 

婉曲表現は相手への心地よさがカギである

一般的な敬語謙譲語丁寧語の考え方だと、「身分」の差がカギになり、それによって言葉の使いまわしを変えることになります。

しかし、日常会話で身分差がないときには、そのような話し方はしませんよね。

ですが、身分差が無い、例えば友達と話すときに常に丁寧でない品の悪い言葉で話すのかというとそんなことはないでしょう。それなりの敬意や礼儀を持って話すはずです。

お互いに身分差はないのに、なぜそんなことをするのか。

それはお互い心地よくいるためだそうで、このお互いが心地よくいられるように話す方法を観察して研究して導かれたのが「ポライトネス理論」というものになるようです。

ここでのカギは「ポジティブ・フェイス」と「ネガティブ・フェイス」というものです。

簡単に言うと、ポジティブ・フェイスは「仲良くなりたい」という気持ちで、「ネガティブ・フェイス」は「邪魔されたくない」という気持ちです。

ポライトネス理論によれば、私たちは普段からこの2つの気持ちが成り立つように会話をしていることになります。

敬語を使う場面で敬語を使うのは、この理論では「ネガティブ・フェイス」を強く意識しているためとなります。敬語を使えば相手の気持ちを邪魔しなくて(害さなくて)すみます。

婉曲表現が登場するのは、この「ネガティブ・フェイス」が大きく影響していると考えれます。

つまり、「いりません」「やらないで」とはっきり言ってしまうと言葉が強いので、相手の気持ちを「邪魔してしまう(害してしまう)」のではないかと、私たちは無意識に考えるわけです。

そこで、言葉の強さをおさえるためにあえてプラスの意味合いのある言葉を持ってきて、「(そんなに気を遣わなくて)結構ですよ/いいですよ/大丈夫ですよ」という言い方を編み出してきたのではないか、と思われるわけです。

このように、プラスの言葉を拒絶に使うようになるのは、相手の気持ちを害さないように気を遣っているからだと言えるのです。

 

 

なぜ「結構です」ではないのか

しかし、それなら「結構です」でもよさそうなものです。

年齢層が高くなると「結構です」を使う人も多いでしょう。

なぜ若い人ほど、「結構です」ではなく「大丈夫です」を使うのでしょうか。

はっきりした理由はよく分からないのですが、「敬意逓減(けいいていげん)の法則」と似たようなものが働いているのかもしれないと筆者は考えています。

これは、敬意を持つ言葉は長く使われているうちに敬意が薄れていく法則のことです。例えば「貴様」は本来敬語でしたが、今はまったく敬意が無くなっていますね。

今見たように本来「結構です」は婉曲表現でした(広くとらえれば相手への敬意を示す)が、使われていくうちにこの敬意が薄れて直接的な言葉と同じ、強い表現に変化している可能性があります。

昔どうだったのかは判然としませんが、少なくとも今の時点ですでに目下の人が目上の人に使う言葉ではなくなっています。

したがって、若い人に拒絶の意味で「結構です」を使うと、比較的強い表現だと思われる可能性があります。

そのため、若い人たちは「結構です」に代わる婉曲の拒絶表現を探しており、そこで選ばれたのが「大丈夫です」ではないのかと筆者は想像します。

 

間違いではなくなっていくかもしれない

一般的に拒絶の大丈夫は「若者言葉」とされますが、「若者言葉」のような流行りの言葉ではなく、使用者数が増えていく言葉の変化だととらえたほうがいいという研究もあります。

ら抜き言葉」などと同じ類です。

そのため、今後は「大丈夫」には「やんわりとした拒絶のニュアンスを含むことがある」などと、多くの辞書に書かれる日が来るかもしれません。

まだ違和感を感じる人も多いので、公的な場でむやみやたらに使うことはお勧めしませんが、「間違い」や「日本語の乱れ」とまでは言えないのではないか、と筆者は考えています。