昔の写真などで、横書きの文字が「右から左に読む」形になっているのを見たことがあるという方は、多いのではないでしょうか。
例えば、「心用の火」(火の用心)のような形です。
これはいったい、いつごろ使われていたのでしょうか。また、その理由は何だったのでしょうか。
右横書きは実は縦書き
まず、横書きについてです。
横書きが導入されたのは、西洋文化が入った後ではないかというイメージを持たれる方も多いかもしれませんが、実は横書き自体は古くから存在します。
例えば、お寺などの扁額(へんがく/看板のようなもの)、のれんは、昔から横書きのものがあります。
そして、これらは現在の左から読む横書きではなく、右から読む横書き、つまり右横書きでした。
これらはなぜ、右から読んでいたのでしょうか。
最も有力な説は、「1行1文字の縦書き」として書いていたからだというものです。
日本では伝統的に縦書きが使われていますが、縦書きは右端の行を下に向かって読み書きしていき、一番下までいったら、左に行を移してまた下に読み書きをしていきます。
しかし、扁額やのれんは横長であることが多く、お寺やお店などの名前を無理に縦書きにするとバランスがよくありません。
そこで、このような場合は1行が1文字しかない原稿用紙に縦書きをする感覚で文字を書き、読むようになったのではないか、と考えられているようです。
つまり、私達が右横書きであると認識しているものは、実は「右横書き」のように見えているだけで、「1行1文字の縦書き」であることが多いということです。
今でも一部のお寺などの扁額、お店ののれんでは、この「1行1文字の縦書き」を見ることができます
しかし、西洋文化が流入してくると、混乱が起こり始めます。
※「右横書き言語」とは、RTL言語ともいわれ (right-to-left, top-to-bottom script)、アラビア語、ヘブライ語、パシュトゥー語、ペルシア語、ウルドゥー語、シンド語は、現代で最も普及しているRTL文字体系だそうです。
左横書き、右横書き、1行1文字の縦書きの混乱
江戸時代になるとオランダ語が入ってきて、日本人も「左横書き」を目にするようになりました。
そして、明治になると外国語の辞書がつくられるようになります。
日本に入ってきた外国語は、アルファベットを使っていましたので、左横書きです。
しかし、日本語は縦書きです。
これを、どのようにして辞書として仕上げればいいのでしょうか。
当時の人は左横書きは左横書きのままとし、日本語の部分は文字を90度倒して縦書きとしました。
このため、本を回転させながら読まないといけないという現在の感覚ではかなり不便な見た目になっていました。
こちらに、参考写真があります。
三省堂 ことばのコラム
しかし、これでは不便だということもあったのか、徐々に日本語も左横書きで書くことが増えていきました。
特に外国語関連や数学、音楽の本など、横書きを入れなければいけない本では、最初からすべて左横書きにすることが多かったそうです。
また、文明開化の風潮の中で、西洋と同じ左横書きのほうが先進的だという意識もあったそうで、これも左横書き増加の一因となっていたようです。
戦前はすべて「右横書き」だったというイメージがあるかもしれませんが、このように戦前から左横書きのものもたくさん存在していました。
同時に、「1行1文字の縦書き」もまだ健在で、新聞、広告などではよく見られていたそうです。
また、「1行1文字の縦書き」ではなく、本当の「右横書き」も見られます。
つまり、縦書きで書けば、1行に数文字書けるスペースがあっても、右から横に書いており、左端まで行くと1行下の右端から再び書いてあるというものです。
また、かっこなどの約物(やくもの)が縦書きの向きではなく、横書きの向きで書かれているものも少なからず存在していて、これは「1行1文字の縦書き」ではなく、「右横書き」だろうと推測されているようです。
このような書き方は江戸末期から存在しており、最初期の例としては「亜墨利加州迦爾波尓尼亜港出帆之図」という1862年に描かれた版画が有名だそうです。
「右横書き」が存在した理由ははっきりとは分かりませんが、横書きという西洋風の文化を取り入れつつ、右から読み書きするという日本の伝統的な文化を重視するというものだったのかもしれません。
実際、当時は左横書きは西洋風で、右横書きこそが日本風という認識を持っていた人もいたようです。
ただし、「右横書き」は縦書きと併用されているケースが多く、すべて右横書きというものはあまりないそうです。
今でも新聞や雑誌などはレイアウト上、縦書きと横書きを併用していますが、こういう場合の横書きで「右横書き」が多く使われていた模様です。
したがって、「右横書き」は基本的には縦書きの補助という位置づけだったと言えそうです。
ここまでをまとめると、戦前の日本では横書き文章の方向として「左横書き」「1行1文字の縦書き」「右横書き」の3種類が混ぜこぜに使われていたことになります。
戦時中に廃れ始めた右横書き
そんな「右横書き」ですが、戦時中に廃止へ向かって動き出します。
「右横書き」と「左横書き」が同時に使われていると、「これはどっちなんだ?」と混乱してしまうためです。
実際1942年に、国は「横書統一案要綱」を作成しています。
それには以下のような記載があります(現代日本語に直しています)。
「現在、国語が横書きされている実情について見ると、多行にわたるものはすべて左横書きだが、数行以下のポスター、標識、看板等は右横書きのものと左横書きのものがあり、混乱甚だしく、未知の人名、地名等は判読に困難な場合がある。いずれかに整理統一する必要がある」
確かに、知らない言葉の場合、「右横書き」と「左横書き」のどちらもあり得る場合、右と左のどちらから読めばいいか分かりません。
以降、それぞれの根拠について書かれています。
「右横書きは縦書きの場合に行が右から左に進む事実に基づき、1行を1字とみなすことによって生じた現象であり、それ以外特に根拠と認められるものはない」
左横書きの根拠は要約しますと、
<理論的根拠>
- 漢字やかなは左から右に横線を引く
- へんがある漢字は必ず、左にあるへんから書き始める
- 二つ点を打つ漢字ではかねがね左にある点から打つ
- かなで濁点や半濁点はかなを書いてから右に打つ
- 濁点は左にある点から打つ
<実用的な根拠>
- 数式や化学式、アラビア数字などをそのまま書ける
- 小さいつなどは前の文字の右下に書く
- 句読点は前の文字の右下に書く
- 右手で文字を書く場合、書いた文字を見ながら書き進められるほうが効率的
- ノートなどで左横書きを普段からしている人にとっては左横書きのほうが読みやすい
とされています。
ここから、この要綱では「右横書きは慣習に過ぎないが、左横書きは理論的にも、実用的にも右横書きに勝る」と結論付け、横書きはすべて左横書きに統一するべきだ、としています。
この要綱をもとに「国語審議会」が「国語ノ横書ニ関スル件」で「左横書きへの統一」を採択し、政府に提言を行いました。
しかし、これに当時の文化人や保守的な人々が反発しました。
当時は戦争中で反欧米の世論も強く、欧米と同じ左横書きを国が勧めることに抵抗が強かったようです。
結果、この提言は採用されず、戦中は特に統一がされないまま終戦を迎えました。
終戦後、欧米と同じ左横書きは革新的で、右横書きは保守的という風潮が強まり、一般的には左横書きが主流になっていきました。
これをうけ、新聞なども順次左横書きを原則とするようになります。
そして、1949年に「公用文作成の基準について」で「公用文はなるべく広い範囲にわたって左横書きとする」と通達が出され、国の公式な文書の横書きもすべて左横書きになりました。
こうして、右横書きは廃れていき、同様の読み方をする「1行1文字の縦書き」も衰退し、寺社仏閣、のれんなどの限られた場所で見られるだけという状況になっています。
左横書きになっていく流れは止まらない?
同じ漢字圏である中国も、もとはすべて縦書きが原則でした。
日本語が伝統的に縦書きなのも、中国がそうであったからだと考えられています。
このため、横書きが必要な場合は日本の以前の状況と同じく、「1行1文字の縦書き」が行われていたようです。
しかし、中国でも現在は左横書きが広まっているようです。
このように、左横書きが広まっていった理由としては、西洋の言葉やアラビア数字が入ってくるようになり縦書きだと読みづらくなったこと、1950年代に政府が「左横書き」にすることを決めたこと、などがあげられるようです。
もっとも、現在も縦書きは残っていて、すべてが左横書きになっているわけではないそうです。
また、Web上では左横書きが通常であり、縦書きはかなり限られた場所でしか使用されていないため、今後も漢字圏では左横書きが定着していく流れが続いていく可能性が高いと考えられます。
まとめると、以下のようになります。
- 右横書き自体は古くからある
- ただし、それは「1行1文字の縦書き」
- 江戸末期から西洋文化の影響か、本当の意味での「右横書き」が出現
- 明治~戦前は「左横書き」と「1行1文字の縦書き」、「右横書き」が混在
- 戦中に混乱を避けるため、理論・実用ともに優れている左横書きへの統一が検討されるが実現せず
- 戦後に欧化の風潮が強まり、「右横書き」・「1行1文字の縦書き」は衰退
右横書きは、のような流れをたどってきたようです。