日本語不思議辞典

「やばい」ってどこまでの意味があるの?

若者言葉の「やばい」の意味

若者言葉の一つとして、「やばい」という言葉があげられることがよくあります。

「やばい」自体は以前からある言葉ですが、従来の意味に比べて意味が広く、否定的なだけではなく肯定的な意味でも使う点に大きな特徴があります。

 

この「やばい」の意味は、どこまで広がっているのでしょうか。そして、なぜ意味が広がってきたのでしょうか。

 

「やばい」の本来の意味

「やばい」というと、最近出てきた言葉だというイメージがあるかもしれませんが、実はそうでもないようです。

語源には諸説あるようですが、「やば」という隠語(いんご:仲間内でしか使わない言葉)がもとにある可能性が高いとされています。意味としては「看守」や「牢屋」などを指すような言葉と考えられています。

これはおおよそ、江戸時代後期ごろに使われていたようです。

さらにもとをたどれば「いやあぶない」(とても危険)が語源と言う説もあります。

この「やば」が変化して、「やばなり」という形容動詞になり、それが「やばい」という形容詞としても使われるようになったようです。

この経緯から「やばい」は「非常に都合が悪い」「危険な状況」といった意味を持っています。

ところが、今の若い人はこの「やばい」を別の意味としても使っています。どんな使い方をしているのでしょうか。

 

 

「やばい」の3用法

「若者」はむやみやたらに「やばい」を使っていると思われる方もいるかもしれませんが、分析するとそれなりの規則性を持っているそうです。

主に以下の3用法として使われています。
なお、それぞれの用法で、本来のマイナスな意味とは真逆のプラスの意味としても使います。

述語的用法

述語的用法というのは、「やばい」の場合は簡単に言えば状況の評価です。

「宿題忘れてきちゃった」「それはやばいね」とか「昨日の映画はやばかったね~。すごい泣いちゃった」のような使い方です。

英語では前者なら「Oh, it’s so bad.」などで、後者なら「The movie we watched yesterday was so touching.」など文脈に合う形容詞にsoとかreallyとかを付けて表現するものにあたりそうです。

独立語的用法

独立語的用法は、単独で使います。「!」がつくときをイメージすると分かりやすいかもしれません。

「あの人、超かっこよくない?」「わ、ほんとだ、やばい!」や「げっ、お金がない。やばい!」のような感じです。

こちらは英語でも結構分かりやすく、肯定的な意味なら「so cool!」とかで、否定的な「しまった!」みたいな意味なら、「Ah!」とかをよく使うようです。つい出てしまう感じなのは、日本語と似ていますね。

副詞的用法

副詞的用法は「やばいくらい」「やばいほど」として使うことが多いです。

「今日の授業はやばいくらい眠かった」や「あそこのケーキはやばいくらいおいしい」などと使います。

英語で表そうとするとぴったりな用法は無く、文脈によってという感じになります。とにかく「ひどかった」とか「もうすごいんだから!」のような意味を伝えたいので、眠かったなら「The class was horrible.」などとし、美味しかったは「This cake was amazing!」のようにして、おおげさな形容詞で表すと日本語のニュアンスに近くなるそうです。

このように見ると、若い人もそれなりの使い分けをして「やばい」を使っています。

とはいえ、「やばい」はもともとは1つの意味で1つの用法しかなかったのに、3つの用法とそれぞれでプラスの意味が付け加えられてしまっています。

英語で考えるともっと複雑さが分かりやすいですね。ちょっと考えただけで、上のようなたくさんの英語表現が出てきます。

これを「やばい」は一語で表現しています。

なぜ、若い人は言葉をより複雑にしてしまっているのでしょうか。

 

 

共感を呼ぶための「やばい」

この謎は「共感」というキーワードで説明できる、という考えがあります。

「やばい」は1つの言葉でたくさんの意味を含んでいるので、便利である反面、意味がとりにくくなる場合があります。

「昨日のテストやばかったんだよね」というセリフを同じテストを受けた人に言えば「あー、やばかったね(難しかったね、あるいはできるかどうか危なかったね、など)」と通じますが、そのテストを受けていない人に言っても肯定と否定の判断、つまり「難しかったのか、簡単だったのか」の判断がつかないのです。

しかし、若い人たちは「通じる可能性が低い人」には「やばい」という言葉を使う可能性は低いです。なぜなら、若い人たちは、仲間内での共感を高めるためにこの言葉を使っていると思われるからです。

これは省略表現に見られる特徴で、例えば先生のことをあだ名で呼んだりするのと似たような効果を持っていると思われます。

このような表現は、あるコミュニティ内でしか通じない一種の暗号のようなものなので、それを知っていると「自分はそのコミュニティの一員だ」という思いを強化でき、お互いへの共感度を高めることができる、というメカニズムです。

もっとも、実際の会話では、表情や口調、文脈といった情報も受け取るので、コミュニティ外の人でも「まったく意味がとれない」というケースは少ないかもしれません。

若い人たちはわざと言葉足らずに話すことで、「私たちは仲間だよね」という思いを強くしようとしているのかもしれません。

また、筆者の感覚としては、「やばい」は「本当にそう思ってるよ」というメッセージも含んでいると感じます。

フォーマルな言葉では「社交辞令」のようになってしまうので、あえて「やばい」という言葉を使うことで、仲間に自分の思いをより正確に伝えようとしている部分もあるのではないか、と思います。

 

「やばい」は日本語の進化?

「やばい」の意味が広がったことに対して、眉をひそめる年長者の方もいますが、日本語はもともとこのような言葉ができやすい言語だそうです。

言語には大きく2種類あり、文脈依存的かそうでないかで分けることができるようですが、日本語はとても文脈に依存した言語のようです。

文章をよくよく観察すると情報が少なくて、文脈で意味を判断していることが実はとても多いのです。

文脈というのはそれまでの話の流れやお互いが持っている情報からして、「これはそういう意味だろう」と考えられるコミュニケーションの流れのことです(考えや状況を汲み取る、ということでもあるでしょうか?)。

先ほどのテストの例で言えば、同じテストを受けているので内容を知っているという流れ、つまり文脈から「やばい」という言葉のみで、テストの難易度や状況などを表現しているわけです。

ただし、文脈に頼っていると意味を取り違える可能性もあります。例では、学力の高低でテスト難易度の評価がすれ違う場合もあり得ますよね。

このように、文脈依存の高い言語は意味を間違えるリスクをおうかわりに、伝わる場合は物事を少ない言葉で一気に効率よく伝えることができる、という特徴を持っています。

筆者は「やばい」という言葉は、日本語のこの特徴(前後の文脈や仲間同士の共有情報から、言葉の意味を推測すること)をよく反映していると思います。

日本語ならではの、進化形態なのかもしれません。

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